一般社団法人 人工内耳友の会 ACITA

人工内耳友の会 ACITA

ACITA会報 No.150

2025/8発行

長く冊子の体裁で発行してまいりましたが、2023年度の通常総会にて会報の電子化が承認され、2023年11月より電子ファイルとしての発行に移行しました。

会員の皆様は「会員専用ページ」から全文をご覧いただけます。

目 次

◆巻頭言 ご挨拶 会長 長井修一

◆ACITAからの報告
  2025年度通常総会報告
  臨時理事会の報告
  2026年度全国大会のお知らせ
  全難聴との協議会報告
  人工内耳友の会関西総会参加報告
  新規助成報告
  第2回Zoom懇親会報告
  関西万博イベント参加の報告
  シェパードセンターからのお知らせ

◆ブロック、支部便り
  四国ブロック大会報告 茨城支部 埼玉支部
  千葉支部 東京支部 神奈川支部
  静岡支部 石川支部 広島支部
  愛媛支部

◆特別寄稿 音楽をあきらめない
 武蔵野美術大学大学院 趙 晨光(チョウ シンコウ)

人工内耳装用記
  人工内耳友の会ACITA会報150号記念
  人工内耳装用 34年に感謝
  ご存じですか?「よみがえった音の世界」を読み返して
  難聴について思うこと

◆人工内耳Q&A

◆ふりーとーく
  勝手にコーヒーブレイク(108)
  1979年7月ウォークマン発売

◆メーカー掲示板
  日本コクレア
  日本光電工業(バイオニクス)
  メドエルジャパン

◆お知らせ
  会員動向 お礼 事務局便り
  編集後記 情報発信 会費納入のお願い

関西万博オーストラリアパビリオンのイベント参加報告

親子の部理事 村田 美和

オーストラリアには、シェパードセンターという機関があります。難聴児の聞くことと話すことを学ぶ支援を専門とするセンターです。

2025 年 6 月 29 日(日)11 時 30 分~14 時まで、万博オーストラリアパビリオンのホールにて、「パワーオブスピーチ」というイベントが開催されました。ACITAは理事がご招待を受け、 4名が参加してきました。

第1部では来賓スピーチとして、関西万博政府代表のナンシー・ゴードンさん、自民党難聴対策推進議員連盟事務局長の自見はなこ参議院議員、耳鼻咽喉科頭頸部外科学会理事長の大森孝一教授のあいさつがありました。その後、シェパードセンターCEO のアリーシャ・デイビス博士による、オーストラリアの聴覚医療システムの紹介がありました。そして日本の人工内耳装用者 4名によるスピーチでは、小学4年生、中学1年生、高校2年生、団体代表をしている 20 代の方の発表がありました。高校生と成人の方は英語でスピーチされるなど、皆さんご自分の言葉で今の生活や家族・友人などへの感謝を述べていて、まぶしく輝いていました。

第2部では、自民党難聴対策推進議員連盟会長の上川陽子衆議院議員の来賓スピーチ、オーストラリアの親子の発表、デイビス代表や医師、保護者、オーストラリア企業代表によるパネルディスカッションなど、盛りだくさんの内容でした。

真夏のような暑さのなか、人工内耳を装用した子どもの、健聴児と同等以上の成長を目の前で見られた有意義なイベントでした。

シェパードセンターとの面談報告

日本コクレア社から、万博後にシェパードセンターの面々が東京に来るので、ACITA親子の部の活動や日本での課題を聞き取りしたいとの連絡がありました。親子の部担当理事として出席したのでご報告します。

2025年7月2日(水)10時30分~11時40分 コクレア社にて

シェパードセンターは、新生児聴覚スクリーニング検査でリファーとなった段階から、専門家が個々人に合った乳幼児早期介入プログラムを策定し提供します。学齢期や10代の若者をサポートするメンタリングプログラムまで、あらゆる年齢や段階のニーズに対応しています。それが障害保険により無償で提供されるそうです。

オーストラリア全土には、シェパードセンター同様の療育センターが各州にあり、オンライン遠隔医療サービスも提供しています。

設立して 50 年以上、これまでに 900 組以上の家族をサポートしてきているとのこと。

そして日本での課題について質問を受けました。日本では新生児聴覚スクリーニングでリファーになったとしても、その病院や医師によっては、すぐに医療や療育につながらない可能性があること、難聴児早期発見早期療育推進基本方針が2022年に策定されたにもかかわらず、保護者が自分たちでわが子に最良だと思うシステムや学校、療育を(特に地方に居住していると)選択できにくいこと、そもそも情報が届けられない可能性もあること、大学病院や教育施設を県や地域をまたいで利用するには壁があること、オンラインでの支援サービスがないこと、などをお伝えしました。

シェパードセンターでは、すでに静岡県立総合病院と連携し、静岡県の人工内耳装用児に対してプログラム提供を今年度中に開始するとのこと。今後は難聴議連を中心に、国に働きかけてシステムを全国的に拡大していきたいとのことです。そしてACITAとしても親子の部を中心に、当事者の声を国に届けるロビー活動を一緒に行なってほしい、と依頼を受けました。

日本のどこに住んでいても、情報を適切に受け取り、選択し、子どもの聞く、話す、読み書きの力を発達させ、社会性を育み、能力を発揮するための支援サービスを受けられるようにするには、他団体とも連携し国に訴えていくしかありません。今後ますます増えるであろう装用児のために、ACITAとして検討していきたいと思います。

大阪・関西万博にて日豪間の難聴児支援協力の取り組みを発表
パワー・オブ・スピーチ
きこえる世界、わたしの選択肢

2025年6月、オーストラリアの療育機関「シェパード・センター」は、聴覚支援の重要性を発信するイベント「パワー・オブ・スピーチ」を開催しました。このイベントを通じて、同センターはオーストラリアで展開されている聴覚の健康に関するサービスを世界へ向けて発信しました。

会場には、日豪の医療・政府・教育関係者、ならびに当事者家族が一堂に会し、早期介入や人工内耳技術、包括的な家族支援が、難聴児の人生において重要な選択肢となり得ることへの理解を深めました。人工内耳友の会ACITAの代表者の皆様にもご参加いただき、心より感謝申し上げます。

選択肢の提示と早期支援による家族のエンパワメント「どこに住んでいても、すべての子どもに成長の機会が与えられるべきである」——この力強いメッセージが、イベントを通じて発信されました。

登壇者のスピーチや専門家の講演を通じて、参加者はシェパード・センターによる早期介入の総合的で家族中心のアプローチがもたらす効果について深く学ぶ機会を得ました。

オーストラリアからは、ダニー・アッカリさん(父)とオリバー君(息子)が登壇。シェパード・センターの支援プログラムによって、オリバー君が同年代の子どもたちと同等の会話能力を身につけ、学校・家庭・地域社会でいきいきと過ごしている様子を共有してくださいました。

日本からは、小学生・中学生・高校生・青年の代表4名が登壇し、それぞれの難聴とともに歩んだ成長の物語を語ってくださいました。そのストーリーは、「難聴があっても、適切なサポートがあれば、豊かなコミュニケーションで人とつながり、それぞれの可能性を伸ばしていくことができます」ということを力強く伝えるものでした。

また、シェパード・センターCEOのアリーシャ・デイビス博士はこう語りました。「家族、臨床医、政府、そして医療機器メーカーの連携こそが、人生を変える結果につながっています。日本のパートナーとの知見の共有を通じて、すべての子どもたちが新たな可能性を享受できるよう協力できることを誇りに思います。」

パネルディスカッション
オーストラリアの包括的な聴覚の療育支援

本イベントでは、オーストラリア独自の聴覚の療育支援モデルに焦点が当てられました。このモデルの中心には、オーストラリアのコクレア社による人工内耳技術、シェパード・センターの聴覚・言語支援、そしてご家族への包括的なサポートが含まれます。

パネルディスカッションには、コクレア社CEOのディグ・ハウイット氏、日本の医師(高木明先生、山本典生先生)、および日豪難聴児の保護者の方々が登壇しました。ヘルステック企業、医療関係者、そして保護者が連携することで、大きな成果が生まれるという力強いメッセージが共有されました。また来賓として、日本の国会議員、医師、言語聴覚士、自治体福祉局の幹部の皆様にもご参加いただき、難聴児ができるだけ早期に必要な支援を受けられるよう、関係者が共通の目的に向かって連携する機運が高まりました。

シェパード・センターと静岡県の協働プログラムのご紹介

本イベントでは、聴覚医療の分野における国際的なコラボレーションとイノベーションに光を当てる一方、静岡県立総合病院で展開されている先進的な試験的取り組みにも注目が集まりました。高木明医師が主導するこの静岡県との協働プログラムは、シェパード・センターとの10年にわたるパートナーシップを土台として築かれ、昨年の協定締結によって実現したものです。

本プログラムでは、シェパード・センターによる早期介入モデル(診断から就学、さらにその後の難聴児と家族への継続的な支援)が、日本で初めて導入されています。同センターの包括的アプローチと静岡の医療専門家の高度な専門性を融合させることで、難聴児のための協調的で包括的なケアが実現しています。

「1歳未満の子どもたちは人工内耳による治療成績が良好で、手術が早ければ早いほど聴覚リハビリテーションの成果も高まります。この早期介入システムを日本でも確立したいのです」と高木医師は語っています。

この試験的取り組みは、健聴児と同等の言語能力の習得が困難だった子どもたちに新たな選択肢をもたらすとともに、医療制度の変革に向けた土台を築いています。

高木医師はさらに、「音声言語を通じて、子どもたちには夢を描き、それを実現できる可能性を感じてほしい。自信を持って話す力は、夢を叶える大きな鍵になるのです」と力強く語りました。

シェパード・センターCEOのアリーシャ・デイビス博士も、次のようにコメントしています。「私たちが力を合わせれば、子どもたちの可能性に対する社会の期待そのものを変えることができます。どこに住んでいても、すべての子どもたちが自身の可能性を最大限に発揮できるよう、支援を届けていくことが私たちの使命です。」

未来を見据えて

本イベントは、国際的なパートナーシップの深化に寄与し、オーストラリアにおける聴覚医療の高度な専門性が、世界的に価値あるものであることを強く示す重要な一歩となりました。

シェパード・センターは、難聴と診断されたタイミングから、すべての難聴児に適切な選択肢と音声言語へのアクセス、そして多様な機会がもたらされるよう、今後も日本およびオーストラリアの地域パートナーとの連携を継続し、尽力してまいります。

シェパード・センターについて詳しい情報を知りたい方は是非こちらのウェブサイトをご参照ください。
https://shepherdcentre.org.au/

[ 記事、写真提供:シェパードセンター ]

アリーシャ・デービス博士

人工内耳装用記

人工内耳友の会ACITA会報150号記念
ACITA会員 HH様

「友の会」会報150号に、運営委員会より原稿の依頼がありました。お世話になった37年を振り返りました。友の会創設当時は、「人工内耳」の言葉そのものが皆無の状態で、手術のできる病院も数える程度、装用者数も少ない状況でした。

東京医科大での装用者が数名のとき、当時の言語聴覚士の城間将江先生から、装用者同士で情報交換しながら聞こえを確保することが上達するのでは?との声掛けがありました。

東京医科大学病院内で装用者7名、舩坂教授、城間将江先生他に数名の病院関係の方との集まりだった記憶があり、友の会の名称を考えましょう、とのこと。参加者の中で考えましたが、教授が、なんだか難しい横文字での案を下さり、頭文字をとり友の会「ACITA」となりました。

1988年4月の「友の会ACITA」設立。それに伴い会報が発行されました。日本に「人工内耳」が導入されてから少しの時間が経過していました。わずかな装用者で初代小木会長を代表に発足です。

「友の会ACITA」として、第1回目の懇談会を、東京駅近くの会場で1988年10月、病院の先生、言語聴覚士、機器メーカーの方などが集まり開催しました。そしてその報告、記録として会報を発行。第1号は、懇談会風景、参加者の自己紹介、感想など記載され発行されました。手作りでとても親しみのある会報でした。

その後は、毎年の懇談会そして会報と、楽しみな「友の会ACITA」。術後、両親の介護で鹿児島に居住していた間も、毎年の懇談会には上京して、仲間との交流を楽しみました。各地での様々な企画を楽しみ、仲間との再会が何よりでした。4年後には、また千葉に居住するようになり、一時期運営委員会もお手伝いさせていただきました。

その頃はコクレア社の会議室をお借りしての委員会でした。御茶ノ水駅の近くでしたので、会議が終わると夕方で、近くの飲食街で食事を。もちろんお酒も入ります。また、カラオケにも行った記憶があります。皆聞こえないので、自分が楽しむ、声を出しストレス発散。若い頃のひと時でした。塩田副会長や監事の石尾(旧姓古川)さんもご一緒でしたね。あれから30年は過ぎました。

会報発送は東京で行われ、運営委員の皆さんに会えることを楽しみに発送作業を手伝いました。懐かしい思い出です。最近は、会報発送も近隣にお住まいの方のお手伝いがあったと聞きました。もちろん運営委員の皆さんの労力が大きく有難いです。

会報の発行により、各市町村での福祉活動などの情報を報告、それにより各市町村での取り組みが行われる良い刺激にもなっています。支部活動も会報により報告があり、それぞれの支部活動の参考にもなっています。全国の病院で手術が可能になり、装用者も増えましたが、残念ながら団体活動には興味のない方が増えました。インターネットなどで情報が得られるからでしょうか、生身での集会を望む人が少なくなった、ということでしょうか。しかし「友の会ACITA」としての活動が運営委員の方々の力で継続、法人化も成し遂げ運営されていること、有難く思います。時代に合わせて健康保険制度などに国との交渉など頑張っていただき、感謝です。自分事だけではなく、これからの聞こえなくなり困る方の力になってほしいと思います。皆さんお仕事を持っての活動、大変かと思いますが。

私事で言えば、1985年人工内耳で「音が蘇った」という新聞記事から始まりました。私が薬害により突然、聴力がゼロになり8年経過していたときでした。九死に一生を得た身では、生きていただけ良かったと思う毎日。けど、周りの人は聞こえない人相手には全く関わりは持ってはくれませんでした。孤独でも馬鹿にされても生きていくしかありません。そんなどん底の生活のとき、人工内耳という機器の朗報。当時は未知の「人工内耳」の言葉、手術の費用や、他諸々情報の無いとき。ただただ音が欲しい、それだけの気持ちで東京医科大の舩坂教授の診察を受けました。

検査も現在では考えられないほど大変で、何回も通院が必要でした。千葉の自宅から東京新宿までの通院、今思うと必死でした。手術は可能になっても手術の日程は決まらず、初診から約2年近く待ちました。その間、執刀医の舩坂教授より、「必ず手術はできるので、もう少し待ってください」とのお手紙もいただきました。手術は1987年6月です。今から38年前、44歳の時。

当時は、手術日の1週間前の入院で、約1か月間の入院。その間、音入れから始まり、リハビリも続けました。機器プロセッサーは、子供の弁当箱ほどの大きさで、単3電池が3個入り、重い機器をベルトで腰に、長いケーブルを下げていました。それでも全くの無音の世界から「音」が入り、毎日病室からリハビリ室に希望を持ちながら通い、当時の言語聴覚士の城間先生と「あぱ、あは、あた」などの言葉や音を感じる訓練でした。

現在の機器と違い、初め会話はスムーズではなく、こんなものか?と少しがっかりする気持ちもありました。読話併用で会話の相手の顔を穴のあくほど?見ながらの「音・言葉」の確保でした。

当時を思うと懐かしいだけですが、そんな機器の進歩は、やはり「友の会」の力でしょうか。

装用者ならではの意見などをメーカー各社に届けたのは、改善の一歩でもあります。初代小木会長はじめ、運営委員の皆さんの力でもあります。全世界での装用者もたくさん増え、当事者の声を機器にも反映、今があると思います。福祉向上にもつながっています。

1994年4月には、「健康保険適用」となり、手術できる病院も少しずつ増え、ぐっと装用者が増えました。そんな中、しばらくの間は、病院単位での懇談会のようなものができて、そこで交流など行われていました。友の会支部活動はその後になります。

全国組織の全難聴、また友の会での活動で、人工内耳の普及と各地の協会会員増への呼びかけ活動が活発になったとき、私も人工内耳に救われ、少しずつ聞こえも取り戻した感じでの生活になりました。仲間との交流が何より大切ではないかと、人工内耳の普及、啓もう活動に力を入れるようになりました。そんな中、人工内耳のメーカー各社との連携で、毎年「人工内耳説明会」を開催、人工内耳装用者も増加しました。装用者は増加していますが、「友の会ACITA」への入会が少ない昨今、残念ではあります。頑張って入会を勧めていきたいと思います。

運営委員の皆さんの力で会報も150号になったのですね。1号からの読者ですが、情報満載の素晴らしい会報になりました。今後ともよろしくお願いいたします。

人工内耳装用34年に感謝
ACITA会員 EB様

ACITA 会報150号おめでとうございます。私は11月で装用34年になります。手術は2回しています。

13年半が過ぎたある朝、食事中にプツンと聞えなくなり、原因不明で2回目の手術を受けました。(N22からN24になり良いこともありました)以来20年、合計34年装用になります。

機器は箱型2個、耳掛け2個、3G、N5充電、カンソ1を2個目で現在8個目を使用中です。箱形は大きく紐付きで煩わしかった。耳掛けに喜びましたが(汗)対策が大変で壊れました。カンソは汗も大丈夫で助かります。

振り返ってみますと 45歳で失聴し徳島ではまだ手術できる病院が無く、 阪大までの通院は四国にまだ橋が架かってなく、 高速船で和歌山に歩いて電車に3回乗り換え通いました。 週3回通ったこともありますし台風で帰れないときもあり、聞こえずウロウロするばかりでした。 (今ならバス乗り換え無しで寝ていたら大阪駅に着きます)48歳で阪大で3人目の装用者でした。阪大は遠かったので音入れ、リハビリ合わせて40日も入院しました。阪大で装用者7人のとき、教授の助言もあり装用者の会を立ち上げ2カ月に1回上阪し、色々相談やレクレーションで楽しかったです。

ACITAの会には1992年に入会し会員番号75です。第4回東京大会から参加し同障者と気兼ねなく大きな声で話せることが嬉しくて、楽しくもありFさんやHさんとお友達になれ毎年上京していました。

1995年から四国地域委員を任されました。東京、横浜に何度も行き、そのたびにFさん宅に泊めていただき参加しました。故小木会長、故岩沢副会長、本部の先輩役員の方々に本当に良くしていただきました。懐かしいです。地域委員からブロック長へと20年務めさせていただけたのも歴代役員や四国の会員のご協力のお陰です。お礼申し上げます。

ACITA の会もブロック化され四国支部を作りたいと愛媛大学の高橋先生に相談しました。 先生のご協力のお陰で“遠くに行けない人でも近くなら参加できる”と、1998年に四国支部が誕生しました。第1回目は四国のへそ(中心地)徳島県池田で開催、以後四国4県で持ち回り開催となりました。全国大会も愛媛で2回開催していただき、今年は第19回四国大会を香川県の金毘羅さんで開催してくれました。続いていることに感謝しています。

オーストラリア旅行が思い出の一つです。(2002・3・20~25、5泊6日)阪大の教授、ST、装用者、家族総勢26人参加で手書きボード付きでした。コクレア社見学、現地の装用者との交流会、(私も通訳付きで発表をしました)庭でのバーベキューなど、どれも貴重な体験でした。

2011年3月の東日本大震災後にSさんの結婚式に山形まで行ったことも忘れられない思い出です。ACITAの会員がたくさん行きました。山形は初めてで天童の山寺の階段1000段はきつかったけど登りきりました。帰りの飛行機から見る災害地は大変で、あちこちにがれきが山積みで想像を絶しました。

海外旅行には50回行きました。子供のいない夫婦の楽しみであり贅沢でした。 アフリカや、エジプト、マチュピチュ、世界3大瀑布も行きましたが二人が80歳を超えた現在は思い出で満足しています。

現在は自宅で茶道のお稽古を月2回4日、身障施設で茶道指導月2回出稽古です。(聴覚視覚障害者の指導を40年続けていてライフワークの一つです)茶道は今年から2年間、役を任され諸行事に忙しく過ごしています。 私以外は健聴者で四苦八苦しながら頑張っています。

聞こえたい一心で受けた人工内耳の手術から34年間装用。人工内耳は体の一部、人工内耳の無い生活は考えられない。人工内耳のお陰で普通の生活ができ、積極的に行動できた。34年経っても変わらない思いで人工内耳に感謝です。

80歳を過ぎ、頭、身体、心、共に衰えを感じますが、人工内耳と共に頑張りたいです。人生の終わりまで人工内耳と共に過ごすことでしょう。果たしてあと何年続くか? 楽しみです。

ご存じですか?
「よみがえった音の世界」を読み返して
ACITA会員 KS様

1992年ACITAの創立5周年記念に発行された本です(今は出版されていません)。私は人工内耳の手術が決まったときに手に入れ、4か月読み漁って手術に臨みました。人工内耳の唯一の情報源になってくれた「私の宝物」です。手術説明のページに「手術室から戻ったら手術した所を枕に付けて寝る」とメモが…29年前に浜松医大の病室で恐る恐る枕に付けたことを思い出します。

この本は人工内耳が高度先進医療に認定される前、臨床成果が認められ治験手術が始まった頃、1988年に発足した人工内耳友の会「ACITA」が出版を計画しました。人工内耳によって音が得られた感謝の気持ち、音が聞こえることのすばらしさ、人工内耳を正しく理解してほしい、人工内耳装用者の社会生活向上等を目的に、装用者とその家族の体験談、人工内耳の開発や歴史的なこと、医師からの人工内耳医療の専門的分野とリビリテーション等が盛り込まれています。

この中に将来への期待として、音楽が分かる人工内耳、うるさい所でも会話が分かる人工内耳、方向が分かる人工内耳、電話が使える人工内耳…等があり、33年経った現在は可能になっていることもいくつかあり、人工内耳の進歩を再確認できうれしいです。改めて治らないと言われた耳に人工内耳で聞こえを取り戻せたことに感謝しています。

©️ 一般社団法人 人工内耳友の会 ACITA
ALL RIGHTS RESERVED.