一般社団法人 人工内耳友の会 ACITA

人工内耳友の会 ACITA

ACITA会報 No.151

2025/11発行

長く冊子の体裁で発行してまいりましたが、2023年度の通常総会にて会報の電子化が承認され、2023年11月より電子ファイルとしての発行に移行しました。

会員の皆様は「会員専用ページ」から全文をご覧いただけます。

目 次

◆巻頭言 「シミ?芸術」/国際医療福祉大学 名誉教授 言語聴覚士 城間 将江 先生

◆ACITAからの報告
  人工内耳の日記念企画
  新規助成
  全国大会の案内
  ブロック長会議
  日本聴覚医学会学術講演会参加報告

◆「人工内耳の日」記念企画
  東京支部・埼玉支部共催 東海支部
  茨城支部 愛媛支部

◆支部便り
  東京支部 富山支部 福岡支部
  香川支部

◆人工内耳装用記
  異文化交流 福岡支部

◆特別寄稿
  Auracast(オーラキャスト) 視聴、胎動

◆ふりーとーく
  勝手にコーヒーブレイク(109)

◆メーカー掲示板
  日本光電工業(バイオノクス)
  メドエルジャパン
  日本コクレア

◆お知らせ
  会員動向 お礼 事務局便り
  編集後記 情報発信 会費納入のお願い

人工内耳の日記念講演会

人工内耳の日記念講演会の報告
東京支部・埼玉支部

開催日時:2025年9月28日(日)
               13:30~16:30
開催場所:東京都障害者福祉会館 集会室 A1、A2
参加者:45 名(30 代から 90 代が参加)
          (会員 32 名 非会員 13 名)
講演者:2名 メーカー4名
人工内耳装用者:41 名(内、非会員10名)
【内容】講演会テーマ
「人工内耳とコミュニケーション」
     講師:国際医療福祉大学 城間 将江先生
  アップグレードの体験談:MO様
  メーカー3社のプレゼンテーション

東京支部と埼玉支部共催による「人工内耳の日講演会」 を開催しました。 両支部が城間先生に講演をお願いしたいということと、両支部の役員が少ない事情もあり、共催につながりました。

7月にはチラシの作成、配布を行い、8月から申し込みを開始しました。関東ブロックの各支部に案内をして、申し込みは当日まで受け付けました。また、当日参加があり、参加者は45名でした。準備した資料がぎりぎりとなりました。

当日は、午前中から会場準備をして、13時30分より講演会を開始しました。

城間先生には「人工内耳とコミュニケーションについて」講演をいただき多くのことを解説していただき大変勉強になりました。質疑応答にも答えていただきました。より良いコミュニケーションをとれるよう取り組んでいきたいと思います。

次にMO様にアップグレードの体験談をお話しいただきました。アップグレードをして一番よかったのは、 「できることが増えた」ことだそうです。そして自分もアップグレードする必要があるということでした。お話を聞いて、前向きに検討したいと思いました。

メーカー3 社には、協賛金及びプレゼンテーションをお願いしました。

講演会は、予定どおり進み、無事に終了いたしました。終了後は、城間先生を囲んでの懇親会を行いました。これからも活動ができることを期待したいです。参加いただきありがとうございました。講演いただきました城間先生、MO様、携わってくださった支部長他役員の皆さま、お手伝いいただいた方々にお礼を申し上げます。

人工内耳の日講演会に参加
ACITA会員 YO様

9月28日東京支部、埼玉支部共催人工内耳の日講演会が東京都障害者福祉会館で開催されました。

講演の講師は国際医療福祉大学名誉教授城間将江先生です。先生については、長年人工内耳言語聴覚士として、また友の会ACITA創設にも深く関わりがあることを、ご存じの方も多いと思います。9月9日の人工内の日講演内容として、人工内耳とコミュニケーションのお話がありました。

私たちはいつも体感していますが、複数の人数、音楽や雑音の多い場所での会話に苦労します。親しい健聴者の方ともコミュニケーションの取り方は違ってきます。顔を近づけ、声を大きくし話かける方が多いのですが、顏の距離や声の大きさだけではないと思います。顔や口を見せ、目を合わせての話が分かりやすく、信頼の距離感、家族や友達との信頼、構築が大切。装用者は自身の聴こえ方をよく理解し、例えば「し」と「す」の違いを自身はどう聴こえているか、理解して置くことは必要です。

城間先生のお話は分かりやすく、参考になるお話が多く、機会があればまた参加したいと思います。

アップグレード体験談のお話と、メーカー各社のプレンテーション、展示も有りました。自身の使用する装用機器に関心が集まり、他社メーカー様に申し訳なく思いつつ、各社若い担当者の説明に、いつもご協力をいただき感謝しています。

当日は会場に約50名の方が参加されていました。旧知の方とはお互いに健康を確かめ気遣う歳となりました。

茨城支部人工内耳の日記念企画
茨城支部

茨城支部では「人工内耳の日」記念講演会(講師:東京医科大学病院聴覚・人工内耳センター長西山信弘先生)を8月3日(日)開催し、70名の参加者で無事終了したことを前回の会報150号で報告しました。講演後、会員4名の方から体験談をスピーチしていただきましたので報告いたします。

装用体験談① KY様

私の聞こえが悪くなって来たのは30代のころからです。原因は分かりません。耳鳴りと共に難聴も進行しました。

補聴器を4台ぐらい替えましたが音は大きく入るけど言葉は聞きにくかったです。やっていないより少しは聞こえるという感じでした。

50代に入るとほとんど補聴器をしても聞きにくくなり友達が人工内耳の手術を受けてその体験を聞いたり、人工内耳の講演会で先生の話を聞いたりして手術をすることに決めました。

虎の門病院で手術をしました。はじめは全く今まで聞いた声と違ってしまい不安に思いましたが、何回か調整しているうちに昔聞いた言葉、声が戻って自然な声に聞こえるようになりました。

今年で17年目になります。私は当初から耳鳴りもひどく人工内耳をはずすと頭いっぱいの耳鳴りがします。でも人工内耳を付けると他の色々な声や音が入るので耳鳴りも抑えられます。だから寝る直前まで人工内耳をつけています。

ゆっくりはっきり話してもらえればだいたい話は分かります。健聴者のようにはなれないけど人工内耳の手術をして良かったと思います。

私の娘も遺伝的なものか両方難聴で補聴器をして仕事をしています。でも少しずつ聴力が落ちているようです。私は娘の先輩となり補聴器がだめでも人工内耳があるから心配ないよと話しています。そのために今を楽しく過ごし娘に希望をもってもらいたいと思います。

装用体験談② ST様

皆さま、こんにちは。現在、両耳に人工内耳を装用し日常生活を楽しんでいます。

私の耳は音や声は聞こえても、それが何の音なのか、また言葉として何を言っているのか聞き取りにくい進行性の感音性難聴でした。

それでも初期の頃は片耳に補聴器を装用しながら、電話や会話にそれほど不自由は感じない生活を送っていましたが、年齢と共に聴力が確実に衰えて行くのを感じていました。地域の耳鼻科の診察を受けてもはっきりした原因は分からず、神経がやられているから治る見込みはないと哀しいことを言われていました。

平成元年辺りにNHKで、東京医科大学病院の舩坂先生の執刀による日本初の人工内耳の手術の様子を放映していました。これがきっかけで人工内耳を知ることになり、失聴しても最終手段として人工内耳という選択があると、神経がやられているからダメだと諦めていた耳に、一筋の光が射してきたように感じ私の希望となりました。

すぐに病院に予約を入れ受診しましたが、聞こえの重い人が優先で、私の場合は数年、補聴器で様子を見ることになりました。

補聴器を装用しながら20数年。とうとう重度難聴になり、病院で手術に必要な検査を受け、平成27年2月に右側を手術しました。手術は3時間、入院は5日間でした。手術2週間後に音入れをしました。音入れのときに初めて人工内耳から聞いたSTの先生の声は脳天を貫くように、「塚本さん、聞こえますか?」と、はっきり言葉として聞き取れました。この感激は今でも忘れることはありません。このときの機種はコクレア社のサウンドプロセッサニュークレアス6(N6)でした。

人工内耳といっても全てが順調に聞き取れるわけではなく、音入れの日から私の聞き取りのリハビリが始まりました。一番利用したのがNHKのニュースの聞き取りでした。その間、時々両耳の装用も勧められていましたが、決心が付いたのは8年後の令和5年でした。この年の1月下旬に本日の講演者の西山信宏先生に執刀していただきました。麻酔で意識が薄れる直前に、先生が「頑張って」と手話で励ましてくれた光景は、今でもはっきりと覚えています。先生は「両耳から聞くと音の幅が広がって良く聞き取れるようになりますよ」とおっしゃっていましたが、本当にそのとおりでした。

完全に元の聞こえに戻ることは難しいですが、人工内耳によって会話を取り戻すことができたことは大きな喜びと自信になりました。

補聴器と人工内耳の違いは、はっきりと言葉としてき取れることかと思います。現在使用しているプロセッサは、メガネやマスクに便利なコクレア社のKANSO2でコイル一体型です。西山先生、ありがとうございました。

装用体験談③ TE様

みなさん、こんにちは。限られた時間ではありますが、今日は私の人工内耳の体験についてお話しさせていただきます。

私は幼いころはまだ聞こえていたため、よくレコードをかけて、おもちゃのマイクを手に歌うのが大好きな子どもでした。

ところが、小学校に上がる少し前から、母が私の聞こえに違和感を覚えるようになりました。話しかけても聞き返すことが増え、テレビにも耳を近づけて聴いていたからです。心配した母が大学病院に連れて行ってくれ、そこで初めて、両耳とも高度感音性難聴であると診断されました。

6歳から補聴器を使い始め、読唇も覚え、声を出して話すことでコミュニケーションをとってきました。幸いにも周囲の理解があり、幼稚園から高校まで普通校で過ごし、大学にも進学することができました。もちろん、授業についていくのは楽ではありませんでしたが、読唇や筆談など、その時々に合った方法でコミュニケーションを工夫し、なんとかやり過ごしてきたという感じです。

これからも読唇を中心に、難聴の自分と向き合いながら、喜びや悔しさ、切なさや悲しみをたくさん経験し、より深く豊かな人生を送っていこう――そう思っていた矢先に、新型コロナによるマスク生活が始まりました。

マスクで相手の口元が見えなくなり、表情もわかりづらくなったことで、コミュニケーションが急に取りづらくなりました。外に出て人と会うのが億劫になり、 QOL (生活の質)は大きく下がりました。

そんな中、私の様子を見て心配した夫が、人工内耳についていろいろ調べて勧めてくれました。私も情報を見てみましたが、正直なところ、あまり期待していませんでした。というのも、私は子どもの頃から高度難聴で、成人してからは補聴器もほとんど効果が出なくなっていたため、「今さら人工内耳にしても、あまり変わらないのではないか」と思っていたからです。それでも、「まずは相談だけでもしてみよう」と思い立ち、筑波大学附属病院を受診しました。検査を受け、先生がどんな疑問にも丁寧に答えてくださり、「効果はありますよ」という言葉に背中を押されて、前向きに考えることができました。

そして、 2022年10月、右耳に人工内耳の手術を受けました。

音入れ直後は、音はするけれど何の音なのかまったく分からない、という状態でした。ですが、 2か月ほどすると、補聴器では聞こえていなかった生活音――電子レンジやエアコンの作動音、雨が屋根を打つ音などが、はっきりと聞こえるようになってきたのです。

なかでも、オルゴールのきれいな音色には、うっとりするほど感動しました。

毎日が新しい発見と驚きの連続でした。半年ほど経つと、人の声が明瞭に聞こえるようになってきたと実感できるようになりました。人工内耳で音を聞き始めて、もうすぐ3年になります。今ではすっかり馴染み、補聴器とは比べものにならないくらい、聞こえの世界が広がったと感 じています。もちろん、100%言葉を聞き取れるわけではありません。今でも読唇は必要ですし、字幕も頼りにしています。そのあたりは補聴器のときと大きくは変わりません。

でも、人工内耳は不思議なもので、時間がたつにつれて少しずつ聞こえが育っていく感覚があります。ある日ふと、「あ、こんな音も聞こえるようになっている」と気づく瞬間があって、そのたびに小さな感動を味わっています。

友人にこの話をしたところ、「新しい世界に飛び込んだんだね!」と言われました。音のない世界、補聴器の世界、そして人工内耳の世界――生きているうちに、こんなにいくつもの“聞こえの世界”を経験できるなんて、本当にありがたいことだなと感じています。

私は、人工内耳をつけて本当に良かったと思っています。

補聴器では出会えなかった「聞こえの可能性」を、今は少しずつ楽しめるようになってきました。これからも、日々の変化を感じながら過ごしていきたいと思っています。

ご清聴ありがとうございました。

装用体験談④ CK様

十数年前に左耳が知らぬ間に失聴していたことが分かりましたが、子育てはひと段落していたものの、両方の親たちの介護などでかなり忙しい日々でした。でも右耳はちゃんと聞こえていたので日々の生活に全くなんの支障もなく、趣味のフラダンスやカラオケにまたイベントの司会役をしたりして何不自由なく普通に暮らしていました。

ところが65歳の頃からその右耳に変化が起こり2018年4月阿見町の耳鼻科医から東京医科大学茨城医療センター耳鼻科を紹介され、CT、MRI、ASSRなど様々な検査を受けて、そのとき女医さんから人工内耳にしてもいいくらいですが、先ずは補聴器外来をと定期的な通院が始まり、STの桜井先生にご指導をいただきながら耳穴式補聴器を装用していました。しかし、だんだんと聴力が低下して耳鳴りなどを感じるようになっていきました。特に高い音、チャイムや救急車のサイレン、赤ちゃんの泣き声などや携帯電話での会話もだんだんと聞き取りにくくなり補聴器を装用してもしなくてもさほど変わらなくなってしまいました。

なぜなら低い音やお風呂での水の音、自分の声はちゃんと聞こえていたから。そうした音を術後失う可能性もあったので余計に人工内耳にする決心はなかなかつきませんでした。

その当時東京医科大茨城医療センターに勤務されていた西山先生にお時間を割いていただき私の疑問に答えていたき相談させていただいて、私の不安を取り除くためにと西新宿まで来られるならば両耳装用者のM氏と会えるように手配して下さいました。

そのM氏の影響はかなり大きくてなぜか私の気持ちが沈んでくると決まってM氏からLINEが入り、人工内耳の素晴らしさや情報、面白動画や心和むメッセージなど何回も救われた思いでした。そのM氏から茨城支部の方も紹介されて、お二人から強力な人工内耳アピールビームを受けて次第に手術すべきかと気持ちも揺らぎ始めていました。

2020年6月西山先生の診察日当時コロナ禍だったこともあり病院から許可が下りた今のうちにやらないといつできるかわかりませんとの先生の言葉についに心を決めました。そして2020年7月27日、 右耳人工内耳手術を西山先生に執刀していただきました!

5年前の4月運転免許証更新のときは補聴器で10m後方のクラクションの音が聞き取れず2度も水戸まで行ってようやく更新できましたが今年の4月の際は視力検査のみで更新できチャイムやサイレンや孫の声もよく聞こえるようになりました。携帯電話での会話も通販の注文もできます。そして本日はお世話になった西山信宏先生の講演会の司会もできて本当にうれしい限りです。

ただ空調の音や騒音、大雨や強風などの音を抑えられて人の声をもっと強調できると、なおありがたいですが。

人工内耳の存在は私にとっては生きてゆく上でなくてはならない大切な物になりました。そして人間年を取ることで失っていくものは少なからずありますが、原因不明の感音性難聴で失った聴力を人工内耳で取り戻せたことは本当に良かったです。西山先生はじめ私の周りの皆さんに心から感謝いたします。ありがとうございました。

愛媛支部人工内耳の日記念企画
愛媛支部

暑い暑い夏でしたが、錦秋の秋となってきました。皆さまにはお変わりございませんか。2年ぶりの9月9日人工内耳の日記念行事「第16回人工内耳相談会in今治」が開かれました。愛媛県難聴者連合会「みみの会」主催として各加盟団体の協力をお願いして、共催の(一社)人工内耳友の会ACITA愛媛支部と今治市難聴者協会が協力して開催しました。

相談会は愛媛大学病院耳鼻咽喉科頭頸部外科助教の西原江里子先生の手術の話、高橋信雄愛媛人工内耳リハビリテーションセンターセンター長のリハビリのお話、それから体験談を、中学生のM君とお母さま、昨年手術されて新会員のYOさん、高校のときにやっと思い立って手術された社会人のIさんにしていただきました。

バイオニクス、コクレア、メドエルの展示ブース、製品紹介のデモンストレーション、最後の個別懇談も時間ぎりぎりまでの相談者でした。スタッフ入れて約60人の参加でした。今治市難聴者協会の方が今治市の広報掲載、市内各所へチラシを置いていただき、愛媛支部は「みみの会」各加盟団体へ周知や県内の耳鼻科のある病院、耳鼻咽喉科、近隣の補聴器店と案内チラシを送りました。いつも人集めが大変なところですが無事に終わってやれやれでした。

前回は中予地区の松山市、今回は東予地区の今治市でした。次回は南予地区の宇和島市などで開催を考えています。

体験談① YO様

皆さんこんにちは。よろしくお願いいたします。

私は現在64才ですが、40才を過ぎたころから難聴が少しずつ始まりました。原因は不明です。はじめは耳の横に手を当てて何とか会話はできていたのですが、だんだんと話をすることができなくなり、始めて補聴器を買ったのが44才のときでした。少しでも耳が良くなってほしいと藁にもすがる思いで針やお灸、整体など、本当に長い間通ってみたのですが、全く効果はありませんでした。愛大病院で調べてもらったら、右耳の耳小骨がずれているということでした。耳小骨というのは鼓膜の振動を蝸牛まで伝えてくれる小さな骨の集まりです。ずれている耳小骨を正常な位置に戻す手術を愛大病院で2年ぐらいの間に3回受けました。しかし、難聴の改善はありませんでした。手術後も少しずつ聴力が下がっており、聴力が下がるたびに補聴器も買い替えなければなりません。今治市からの補助が出るとはいえ安い買い物ではありません。6級だった障害者手帳も2級になり、両耳重度難聴者になっていました。今以上に耳が悪くなったら生活できないのではないかと心配していた矢先、とうとう重度難聴者用の補聴器でも会話ができなくなりました。

愛大病院で前々から人工内耳の手術を勧められていたので思い切って手術を受けることにしました。手術の時間は4時間半ぐらいで、入院は2週間弱だったと思います。手術後3週間ほどして鷹の子病院でリハビリが始まりました。人工内耳の手術をして、最初のリハビリを「音入れ」と言います。初めての音入れのとき、高橋先生が「聞こえますか?」と言われたのですが遠い遠い宇宙のかなたから宇宙人からのメッセージのように聞こえ、男性の声かも女性の声かも分からないような声でした。家に帰って昔よく聞いていたCDで音楽を聞いても何の曲か判らないような聞いたことがないような音楽でした。私は大きなショックを受けたのですが、とりあえず「聞こえる」という喜びで胸がいっぱいでした。2か月、3か月、6か月とリハビリに通院していると、宇宙人の声ではなく人間の声になり、男性の声、女性の声の判断もできるようになりました。来月でちょうどリハビリ1年になりますが、今では音楽も普通に聞くことができています。

人工内耳の素晴らしさはそれだけではありません。私はもう15年以上前から誰からも電話がかかってくることもなく、もちろん私から電話をすることもありません。いろいろな用事や連絡事項はLINEやメールで済ませておりました。しかし、人工内耳対応のスマホであれば電話での会話ができるのです。本来であれば、スマホのスピーカーから相手の声が聞こえるのですが、人工内耳対応のスマホであれば、相手の声がそのまま自分の耳に聞こえて来るのです。私も4か月ぐらい前に買ったのですが普通に話をすることができます。値段は7万円ぐらいですが、いい物であれば15万円以上する物もあります。もし、買い替えるときがあれば、お店の人に相談してみてはいかがでしょうか?

最後になりますが、私の趣味はクラシックギターなのですがだんだんと耳が悪くなるにつれ、演奏は無理だろうと思っていました。しかし、高橋先生が、ギターの演奏ができるようにプログラムを作って下さり、ギターを続けることができております。ギターは弦が古くなると、古い弦を外して新しい弦に張り替えます。新しい弦で演奏していると「ああ…いい音だなあ…。」とギターの音色も分かるようになりました。

人工内耳の可能性はまだまだ広がると思いますが、私は手術をして本当に良かったなと、しみじみ感じている今日この頃です。

体験談② FI様

皆さんこんにちは。私は生まれつき感音性難聴があり、 補聴器を付けて過ごしていました。 高校2年生のときに左耳の人工内耳の手術を受け、その10年ほど後に右耳の手術も行い、 今は両耳人工内耳で過ごしています。今日は、私が人工内耳をしようと考えたきっかけ、人工内耳をつける前とつけた後の心境や生活の変化についてお話しさせていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

今回お話しさせていただくにあたって、 まず私が中学2年生のときに書いた人権作文を読ませていただきたいと思っています。 補聴器だけで聴力を補いながら、健常者の中で生活していた当時の心境がよくわかるもので、今でもたまに読み返すことがあります。よろしければ聞いていただけると嬉しいです。

一人権作文一

「命のかがやき」

1年生の頃、忘れ物のことで母に叱られたことがあった。その時私は「中学校終わったら自殺するきん別にええし。今が楽しかったらそれでえんよ。」と言ってしまった。

その時、母から見せられたテレビ番組で、 世界には難病と向き合い、1日でも生きていたいと痛く苦しい治療に耐えているたくさんの人がいること、それを支える家族の存在があること、国や人種を越えて必要とされている日本人がいることなどを知り、衝撃を受けた。番組を見終わって母から手紙をもらった。「番組を見てどうでしたか? 母さんは初めて文伽を抱っこしたときのことを思い出しました。文伽が生まれて、ただ生きているだけで幸せを与えてくれる命があることを知りました。文伽が生まれたとき、命の重さを感じました。母さんの命から生まれた文伽の命です。この先、新しい命へと続いていくでしょう。自分の命の重みを分かってください。」

手紙を読んでいて、小学生の頃、私が母に言ったことを思い出した。私は重度の難聴で、補聴器をつけていても相手の口を読み取らないと何を言っているのかわからないことがある。友だちの言ったことが読み取れず、何度か言ってもらったが、最後には「もういい。」と言われてしまうこともよくある。そのときの悲しさと情けない気持ちはずっと消えることはない。

ささいなことがきっかけで、 母にそのいらだちをぶつけたことがある。

「母さんに耳が聞こえん私の気持ちなんか、わからんだろ。なんで私だけ耳聞こえんように生んだん? 生まれてこんほうがよかったわ。もう、死んだ方がマシじゃん。母さんだって迷惑なんだろ!」

 母は私のことを抱きしめて

「母さんは、 文伽が生きとってくれるだけでええから。何もできなくても、迷惑かけてくれてもええから。母さんのわがままだと思って、生きとって。死ぬことだけは絶対に許さんよ。」と言って、一緒に泣いてくれた。今はこの世に生を受けたことに感謝している。支えてくれる人がたくさんいることを嬉しく思う。私は、「いて当たり前」「生きて当たり前」と思っていた自分を反省した。当たり前だと思っていた普通の毎日が、実はとても大切な時間だったんだということに気づいた。

「障がいも私の個性なんだ。」と笑って言える自分になりたい。

はい、以上になります。

もう15年ほど前の作文なのですが、この作文を読み返すたびに当時の自分の気持ちを痛いほど思い出します。

明るく前向きに締めくくっていますが、ここから何年もの間「障害も私の個性なんだ」なんて前向きに考えることはできませんでした。口の形を読み取りながら友達が言っていることを聞き取るのは、とても集中力が必要で、精神的な疲労を感じることもありました。それだけ集中しても聞き取ることができず、 結局何度も聞き返すうちに呆れられ、うまくコミュニケーションが取れず、とても悔しかったです。

また、授業中にノートテイクの支援の先生についていただいていたのですが、そのことで「お前とおったらいつも先生がついてくるやん!」と、友達から疎ましがられることも多かったです。表面上は気にしていないように、明るく振舞っていましたが、心の中ではいつも自分と他人を比べ、「どうして私だけ?」と自分にだけハンデがあることに対して、腑に落ちない気持ちを抱え、 誰にも打ち明けられないまま過ごしていました。

学校に行くのが嫌になったり、高校に入学してからも、退学を真剣に考えた時期がありました。高校受験のタイミングで、聾学校への進学も考えていたのですが、正直に言うと「少し聴力が劣っているだけで、私は聾者じゃない!」という意地や、「障害者だと思われるのが嫌だ」という気持ちもあり、地元の県立高校へ進学しました。当時の私は、相手の言っていることが聞き取れないのはもちろん、自分の話していることが伝わらなかったらどうしようという不安もあり、知らない人と話をすることがとても苦手でした。例えば、病院での診察時の受け答えや、飲食店でのオーダー、コンビニやスーパーでの店員さんとの会話など、特に初対面の人とコミュニケーションを取ることがとても苦痛でした。当時の話を母から聞くと、外では人と話すことがなかったので、他人からは、難聴だから私は話すことができないと思われていたそうです。

人工内耳の手術は、もともと小学校のころから信雄先生に勧められていたのですが、小・中学校のころは、全く考えたことがありませんでした。しかし、高校に入学して簿記と出会って、初めてやりたいことができ、 専門学校へ進学したいと伝えたとき、それまであまり口出しをしてくることのなかった母の「進学するなら、人工内耳にした方がいいんじゃない?」という一言で、手術を考えるようになりました。進学するにあたり、親元を離れ、一人で生活しなくてはいけないということを指摘され、今のままではいけないと思ったことも大きかったです。人工内耳について、何年も信雄先生の勧めを断っていたのに、決心が鈍らないうちになるべく早く手術したいと伝えたところ、2か月後に予定を入れてくださるという、とてもタイトなスケジュールを組んでくださった信雄先生には感謝しています。  

人工内耳の手術をしてからは、左耳は人工内耳・右耳は補聴器をつけていましたが、自分では、補聴器だけでもある程度聞こえているつもりだったので、最初は人工内耳の聞こえ方にとても違和感がありました。しかし、リハビリを1か月、2か月と進める中で、電池の切れた補聴器を右耳につけていたことに気づいたとき、人工内耳のすごさに驚きました。補聴器だけのころとは、比べ物にならないくらい聞こえ方が変わりました。

例えば家の前の道を走る車の走行音、風の音、カメラのシャッターを切る音 換気扇やクーラーの雑音、自分の大きな足音、ドアを閉める勢いが強すぎるととてもうるさいということ、身の回りには様々な音があふれているということに初めて気づきました。中でも一番うるさいと感じて驚いたのは、自分の声の大きさでした。(笑)

結局その後調子に乗った私は、専門学校ではなく大学に進学し、華の女子大生になることに成功しました。大学では一人暮らしを謳歌しながら、ダンスサークルに所属し、たくさんの仲間を作ることができました。私の人工内耳を見た友人が勘違いして、なんでブルートゥースのイヤフォンをいつもつけてるの?と聞いてくるくらい、自然に会話もできるようになりました。

人工内耳にするまでは、みんながマスクをつけ始め、口元が見えなくなる冬と花粉症の季節が大嫌いだったのですが、 口が見えなくても聞き取れるようになりました。

大学を卒業後、 幸いにも融通の利く職場に恵まれたため、 社会人になってから右耳の手術を行いました。

マイナス面のお話しをするのもどうかと思いますが、 正直音入れをした後の週1回のリハビリ期間は、仕事と両立させるのも結構大変だったので、時間の融通の利く学生時代にしておけばよかったなと思いました。片耳だけのころには難しかった、どの方向から音が聞こえているのかもわかるようになったし、それまで人と話すときに、自分の立ち位置を気にしていたのがなくなりました。 車に乗るときは、左耳しか聞こえなかったので、いつも自分が運転するようにしていたのですが、それを気にすることもなくなりました。今となっては、よくも悪くも「聞こえる状態」 が当たり前になっていて、聞き取れなくて悔しいと思うことも少なくなりました。昔のことを思い出す機会も減っていましたが、今回お話しする機会をいただいて、改めて「人とコミュニケーションを取れることは幸せ「だな」と実感しました。

人工内耳で聞こえるようになったことも嬉しいですが、なにより、自分の言葉が相手に伝わるようになったことが一番の喜びです。 あれだけ苦手だと感じていたのに、今では人と話をすることも大好きだし、 友人と電話をすることも日常になりました。人工内耳を付ける前の私だったら、きっとこのような場で皆さんの前でお話することもできなかったんだろうなと思います。苦手意識がなくなったことで、 以前は支えてもらうことが多かった自分が、人を支えたり助けたりできるようにもなりました。発信できるようになったことで、人との関わりも広がり、 自分に自信を持てるようになったと感じています。

人工内耳にしてから、 人生の選択肢が増え、視野が広がり、 楽しいことや好きなこともたくさん増えました。 今は年末にある推しのライブをとても楽しみにしています!ここまで来られたのは、家族や友人、リハビリを支えてくださった鷹ノ子病院の先生方、修理対応をしてくださるメーカーの皆様、そしてこのような発信の場を与えてくださった会の皆様など、多くの方の支えがあってこそだと、深く感謝しています。その感謝を忘れずに、これからも自分らしく、 好きなことを楽しみながら前向きに歩んでいきたいと思います。

最後に、「障害も私の個性なんだ」と胸を張って言えるかはまだわかりません。けれど、少なくとも「人よりハンデを背負っている」という意識はなくなったよ、と昔の自分に伝えてあげたいです。

ご清聴ありがとうございました。

体験談③ YM様

僕は中学校の2年生です。卓球部に所属しています。僕が生まれてから、これまでどのように育ってきたか、短い時間ですがお話したいと思います。

僕は生まれたときから耳が聞こえなかったです。もちろん、このときは自分が聴覚障がい者だということは知らなかったし、お母さんやお父さんも知らなかったです。僕が難聴だと分かったのはちょうど1歳のときでした。どうして僕の耳が聞こえないと分かったかというと、同い年のいとこは反応して振り返る玄関のバタンという音に、僕は反応することがなく、遊び続けていたからだそうです。他にも、声が大きいことや、「マンマ」や「ブーブー」などの意味のある言葉はもちろん言うことはなく、「アーアー」や「ウーウー」などの唸るような声が出ていたようです。検査をして分かったのですが、右耳はうっすらと聴こえていましたが、左耳は全然聞こえていなくて何を言っているのか分からなかったです。詳しい検査をしてから、すぐに両耳に補聴器を付けました。補聴器を付けると言葉が少し聞き取れるようになったので、冷蔵庫のそばに行って「ちょうだい」の手話をしながら「ちょうだい」と言ったり、見たいテレビ番組でないと、「ちがーう」と言ったりしたそうです。ただ、自分の言いたいことを全部言葉で言えていたかと言うと、そうではなく、自分の気持ちが伝わらないと、かんしゃくを起こして床にバタバタと寝そべったり、いとこを押していたそうです。

僕は3歳のときに、人工内耳を埋め込む手術を受けました。どうしてこんなに手術までに時間がかかったかというと、当時僕のお母さんのお腹には僕の妹がいて、身体がしんどいときにいろいろと決めるのは大変ということがあったり、補聴器を付けると少しずつだけど、言葉が出てきていたので、このまま補聴器だけでいけるかもしれないという期待があったりしたからだそうです。でも、やっぱり補聴器には限界があることや、将来のことを考えると、やはり人工内耳が必要ではないかと視聴覚福祉センターの川端先生の勧めもあり、左耳に人工内耳を埋め込み手術することに決めたそうです。ただ、右耳は補聴器でなんとか言葉を聞き取れていたし、将来僕が人工内耳の手術をしたくなるときまでおいておこうという思いがあったそうです。

手術する時は、どうなっていくのかわからず怖かったけど、手術終了後、人工内耳をつけてみると、左耳にも声がはっきり聞こえて幸せに感じましたが、補聴器や人工内耳をつけることで、やっと聞こえるようになったので、ずっと付け続けていきたいです。

僕は月に1回、鷹ノ子病院のでんでんむし教室に通っています。僕の補聴器と人工内耳の調子を確認してくれます。また、新しい人工内耳の紹介もしてくれます。リハビリの後半には先生とマンガやアニメの話をして盛り上がります。僕はこの時間が大好きで、ついつい喋りすぎてしまいます。僕がこんなに喋れるようになったのも、あのときお父さんとお母さんが人工内耳の手術を受けさせようと決心してくれたおかげだと思います。また、あきらめずにリハビリを頑張ってきたおかげだと思います。

中学校に入学して、僕は卓球部に入部しました。チームプレーは意思疎通が難しいときがあるので、個人プレーのほうが自分は楽で良いかなと思ったからです。勉強も難しくて理解しづらいことがあるけれど、友達に教えてもらいながら頑張っています。友達に呼ばれて気づかないこともあるけど、もう一回大きい声で呼んでくれます。こうやって、自分の障害のことを理解しながら、自分が楽しめる場所を探していきたいです。

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